こんにちは。隈本です。
前回の日記の続き、最終日編です。
それでは、どうぞ。
【10月12日(月)】
A.M.10:40 旅館を出発
ここのサービスの一つとして、10:00のチェックアウトを11:00まで無料で延長してくれるものがあるそうです。(OKかどうか事前に確認が必要みたいですが)
前日の夕食後、その話があり、11時まで延長をお願いしていましたので、遅めの出発となりました。
A.M.11:50 知覧武家屋敷
高速道路を使い、知覧へ。
ここでは、まず武家屋敷を見学しました。
知覧は「薩摩の小京都」といわれおり、生け垣と石垣が美しい武家屋敷が今もなお残っています。
武家屋敷群は国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、その中の7庭園は国の「名勝」に指定されているそうです。
地区内は石垣で屋敷が区切られており、その石垣はきれいな切石整層積みがされていました。
また、石垣の上には、見事な生け垣があり、石垣と一体となって、目に優しくかつ清潔感あふれる風景となっていました。
その生け垣の規模がものすごく、手入れの費用が相当な額になるだろうな、とみんなで余計な心配をしてましたが。
それと、沖縄の方は、作りが沖縄に似ていると言ってました。
調べてみると、どうやら、沖縄によく見られる石敢當(魔よけの石碑)や、屋敷入り口の屋敷内が見えないようにしている屏風岩(沖縄のヒンプン)が、同じだからみたいですね。
遙か昔の鹿児島と沖縄の交流がそうさせたのでしょうか。
沖縄の皆さん、ちょっと感動していました。
時間が止まるようなひとときでした。


P.M.12:50 特攻平和記念館
知覧は、太平洋戦争末期、陸軍の特攻基地が置かれた町です。
そこで、次に、特攻平和記念館に行きました。
この平和会館には、その当時、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも肉弾となり、敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料が収集・保存・展示してあります。
二度と悲劇が繰り返されぬよう、戦争の悲惨さ、平和・命の尊さを教えてくれます。
展示された遺書を読みながら、ハンカチで顔を押さえている年配の方もいらっしゃいました。
沖縄の1人が遺書集の本を購入されました。
思うところがあったのでしょうね。

P.M.2:20 昼食
鹿児島市内に戻り、ドルフィンポートで昼食です。
ドルフィンポートとは、鹿児島市本港新町(鹿児島港内)の埋立地にある複合商業施設のことです。2005年4月にオープンしたそうです。
ドルフィンポートの「奄美料理 新穂花(あらほばな)」というお店に行きました。
目的は、「鶏飯」。
鶏飯って知ってます?
鶏飯(けいはん)とは、奄美大島等で作られる郷土料理で、茹でた鶏肉を細かく裂いてご飯にのせ、鳥のだし汁をかけて食べるものです。
鶏ダシ茶漬けといったところですね。
私も以前食べたことがありますが、あっさりしておいしいですよ。
宮崎でも流行ると思うのですが、どこかメニューで出されないでしょうかね。

P.M.3:30 フェリー乗場
Kさんは、今日中に島に帰るということなので、300m先のターミナルに送って行くことに。
Kさん、わざわざありがとうございました。
そして、別れを惜しんで、Kさんとお別れ。
私と沖縄の方達は、これから鹿児島空港へと向かいます。
P.M.4:15
高速道路を使って、鹿児島空港へ到着。
いよいよ、今回の旅行も終わりです。
5:30発の飛行機ですので、十分間に合いました。
「今回は、ありがとう。とても楽しかった。今度は、沖縄に来てね。沖縄で会おうね。」との言葉をいただき、別れました。
さて、ここから私の場合、ここからまだまだですね。
だって、宮崎まで戻らなきゃいけないから。
高速使うか迷ったのですが、御池、高原町まわりで帰れば早いだろうと思い、普通の道路で帰ることに。
P.M.6:15
ようやく、宮崎着。
鹿児島空港から、ちょうど2時間かかりました。
夜、沖縄からも無事ついたとのメールが来ました。
これで、ようやく、すべてが終了しました。
ばたばたと計画して、なんとか実行できましたが、どうやら満足はしてもらえたみたいです。
ほんと、よかったです。
すみません。宮崎案内編、ようやく終わりました。
長いこと引っ張ってしまい、申し訳ありませんでした。
今度、沖縄に行くことがあれば、沖縄訪問編でも書きたいと思います。
けど、いつになることやら。
それでは、今日の日記は、これで失礼いたします。
'09.10.27(Tues.)